『反骨心』がもたらすもの

何の気の迷いかわからないが、『反骨心』というを読んだ。

タイトルに惹かれたのはいうまでもないが、清原が書いた本というものを読んだことがなかったし、所詮は芸能人本(昔はゴーストライターなどが書いているケースが多かっただけに)だろうと思っていたので、期待はしていなかった。

これまで清原和博という男を誤解していた。

豪快で、やんちゃで、自分本位で、筋肉マンで、ホームランしか狙っていない男だと決めつけていた。

しかし、実は誰よりもチームプレーに徹し、自分のタイトルよりもチームの優勝を最優先した男だった。

「無冠の帝王」と言われる所以かもしれない。

タイトルを取れなかった言い訳と揶揄する人々も多いようだが、そこまで詮索するつもりはない。

それにしても、驚いたのは王監督や桑田などジャイアンツへの恨みを20年も引きずっていたということだ。

ここまでの執着心は半端ない。

これが「反骨心(いつか見返してやる!)」につながっていく。

それは、西武ライオンズで何度日本一になろうが、決して晴れることはなかった。

巨人との日本シリーズで、日本一が決まる試合の途中で涙があふれ出してきたシーンは私もよく覚えている。

実は、そのときは「演出では?」と受け取ってしまったのだが。

今となれば、その涙の意味がよくわかる。

オールスターや日本シリーズでの桑田との勝負ではことごとく、清原に軍配が上がった。

しかし、念願の読売ジャイアンツに移籍しても、根雪のような思いは融けることはなかった。

弱さを克服し、精神力を鍛えるために、徹底的に自分の体をいじめ抜いた。

護摩行で知り合った一人の病気に青年の言葉や家族の言葉に励まされて、反骨心を貫き通した。

鎧のような筋肉を身に付けた清原は、確実に大リーガー顔負けの上半身を身に付けた。

しかし、下半身が付いてこなかった。

そのせいか、再三怪我に見舞われた。

半分は、怪我の治療で過ごした野球人生でもあった。

しかし、そのおかげで、それまで環境に恵まれ、実績も残して、天狗になりかけていた男が、人の痛みのわかる人間になっていった。

それは、球団やファンにとっては災難だったかもしれないが、清原本人にとっては良かったことだったのだと思う。

引退試合の時は、ファンの大声援に見守られてのセレモニーだった。

これだけ、賛否両論・罵声と声援・好き嫌いのはっきりしている選手も珍しいが、今後も反骨心を持って日本野球界に貢献してほしい。

清原の野球人生はまだ終わらない。