下手な遠慮は休むに似たり

「遠慮」というのは、自分も相手もストレスが溜まるものである。

例えば、ある仕事の主担当者のAさん(上司)が忙しくて
手が回らないときに、Bさんが「私がやります!」と言い
たいのに、Aさんが気を悪くしないかと遠慮して言い出せ
なかった。

とか、食事の際、AさんがBさんを車で送ってあげたとき、
御礼にBさんが(用意していた)お菓子をくれようとした
のに、遠慮して受け取らなかったら、Bさんが怒りだした。

といったエピソードは枚挙に暇がない。

そもそも、遠慮とは...

遠慮は文字通り、遠くを慮る(おもんばかる)こと、遠い将来のことまでよく考えることが本来の意味であった。[語源由来辞典]
http://gogen-allguide.com/e/enryo.html

それが転じて、

遠い将来のことをよく考えることは、すぐに行動をとらないことでもあるため、態度を控え目にするという意味が生まれ、現在ではその意味で使われるようになった。[語源由来辞典]

ということらしい。

つまり、遠慮とは「目先のものに捉われず、遠くを見通す」と
いうことで「思慮深い」とか「熟慮する」といった意味に近い。

決して「態度を曖昧にする」とか「結論を先送りする」という
意味ではないのだ。

少なくとも、相手を怒らせるものではない。

「遠慮」=「ガツガツしない」=「日本人の奥ゆかしさ」という
視点もあるが、過剰な遠慮は人を不快にしたり業務を停滞させる
ということも肝に銘じておきたい。

本来の意味での遠慮、つまり「先を見越した上で、今どういう態
度や振る舞いをすべきか」を考えて行動したいものだ。

まさに「下手な遠慮は休むに似たり」なのだ。