波瀾万丈〜世良公則 デビュー30周年おめでとう!!

今日午前中にふとテレビを付けたら、世良さんが出演していた。日本テレビの「波瀾万丈」だった。その昔、故逸見政孝さんが司会を担当していた「いつ見(逸見)ても波瀾万丈」の後継番組(現在、福留さんがメイン司会)で長寿番組だ。今でも時々見ている。

世良公則、私の永遠のアイドルと呼ぶに相応しい人物である。中学時代、まさにバンドブームで、ツイスト・アリス・ゴダイゴ・SASなどが矢継ぎ早にヒット曲を創出していた。おそらく、全盛期は月1のペースでレコードを出していたのではないだろうか。

その中でも、私は「世良公則&ツイスト、原田真二、Char」(私の中での御三家)が大のお気に入りだった。今聞いてもカッコいいし、違和感などなく、心地よく耳に入ってくる。それにしても、もうデビュー30周年かぁ。私も年を取る訳だ。

番組の中で、新たな発見があった。
それは、アマチュアバンド時代、世良さんはボーカルではなく、ベース担当だったこと。そして、あるコンテストが終わってから、彼らに目を付けて楽屋に訪ねてきた音楽プロデューサが「(当時の)ボーカルが下手なので、変わったらどうか」とアドバイスをしたことがきっかけで、世良さんがボーカルを担当することになったこと。

それから、「あんたのバラード」でプロデビューし、ヒット曲を次々に連発。「宿無し」「銃爪」「燃えろいい女」「性」など、強烈な勢いとインパクトが残っている。わずか4年で解散。私の思春期を駆け抜けた。私が一番好きな曲は比較的後半に出された「Love Song」。数少ないラブ・バラードだ。静かに心に染み入る曲、という表現が適当だろうか。

解散後、世良さんは、ソロでロック歌手を続ける傍ら、「火曜サスペンス」「太陽に吠えろ(ボギー刑事)」「ちょっちゃん」「金曜日の妻たちへ」など、俳優業に勤しむ。多彩な才能をいかんなく発揮した。

しかし、これが本来のミュージシャンとしての「サービス品質」に影響を及ぼすことになる。マルチタスクで多忙な日々を送っていた世良が、ライブをこなして楽屋で休んでいる時、担当の音楽ディレクターから、「世良さん、このままでお客さんを感動させることができますか?」と指摘されたことがあった。本人曰く、「ハンマーで頭を叩かれたような衝撃」があったとのこと。

「本来の俺の職業は何だ?」「今後、何をして行きたいんだ?」「一番失って困るものは何か?」自問自答を繰り返す日々が続く。そして、導き出された答えが「ミュージシャンとして生きていこう。そして、お客さんを感動させる音楽をやり続けたい。」だった。そして、俳優業を封印した。

そこから、自己改革の道へ邁進することとなる。いわば、自分自身を見つめ直し、再定義(モディファイ)した。今風に言うと「自分2.0」かな。そして、自分の殻を破り、プライドをかなぐり捨てて、いろいろな音楽を取り入れたり、様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションを果たす。

やはり、人間はコンピュータと違って、マルチタスクではいつかどこかで破綻をきたすような気がする。同時にあれもこれもはできない。「何とかやり過ごす」ことはできても、一つ一つ「魂を込める」ことはできない。「捨てる勇気」も大切だ。日頃、貪欲で仕事の取りこぼしを嫌う(ある意味、完璧主義の)私には、非常によい教訓になった。

今日番組で見た世良さんは、さらにカッコよくなっていた。中学時代から30年間ずっとアイドルだった世良公則は、これからもずっと「永遠のアイドル」として私を励まし続けることだろう。