表紙革命

私は太宰治の大ファンである。特に、大学時代などは相当に傾倒した。
そして「人間失格」は大学時代に読んで、感銘というか深く共感した作品の一つだ。
集英社文庫が、最近表紙をリニューアルして、急激に発行部数を伸ばしているとのこと。

太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる人気漫画家、小畑健さんのイラストにした集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、約1か月半で7万5000部、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっている。
YOMIURI ONLINE 2007年8月18日2時1分 より引用)

もちろん、出版社側の戦略なのだろうが、純文学にライトでクールで今風のお化粧をして、若者のハートを掴んで、低迷する売り上げを出そうとしているようだ。まさに「ライトノベル現象」とでも言おうか(違う?)。

私は、これが悪いと言っている訳ではない。10代20代の若い世代に純文学に関心を持ってもらうことはいいことだし、活字離れを引き戻すことにもつながる。

要は、中身(コンテンツ)は変わらないのに、売れ行きをこれだけ伸ばせるということは、表紙、つまり入り口(ポータル)は重要であるということを示してないか。ということを言いたかったのだ。

最近、ウェブの世界では、”ポータル不要論(De-Portalize)”の動きが加速している。つまり、洗練されたユーザーはわざわざ自分からポータルへ飛び込まない。(不要な)メニューが多くて、逆にわかりづらいからだ。それよりも、必要なときに必要な情報が勝手に送られてくることを期待している。まさに、「コンシェルジュ型のプッシュでクールなサービス」を必要としている。これは、ウェブからフィードの時代に突入したことを意味するのかも知れない。

しかし、”顔”は必要だと思う。顔の見えない相手から情報がフィードされても気持ち悪い。やはり、サービスは「プッシュ」と「プル」の両輪だと考える。

表紙の話に戻るが、1点、図書館では表紙のカバーを取ってしまうところも多いのでご注意を!!

それにしても、この現象を太宰が気いたら喜ぶだろうか。それとも憂うだろうか。