夏の甲子園決勝戦に見る後味の悪い結末

いつも思うことだが、高校野球(甲子園)の審判って、ギャンブル好きというか、演出家というか、何とか良い試合にしようと思うあまりに”操作”をしてしまうことが多いのではないかと疑ってしまう。もしくは、”情”が働くのか?

夏の甲子園広陵 vs 佐賀北 の決勝戦。4−0と広陵4点リードの8回裏1死満塁。カウント1−3から、エース野村祐輔(3年)が投じた1球がボールと判定された。外角低めの素晴らしいコースに決まったかに見えたが、なぜボールなのか?投手も捕手も応援団も茫然自失状態だった。なぜなら、誰が見ても(これは違うか)、後から何度見ても、ストライクにしか見えないからだ。そして、4−1となって、次の打者に逆転満塁弾を浴びてしまう。

「あの1球のボール判定」さえなければ、9割方逆転劇はなかっただろう。

これは、単なる審判の誤審ではない。魔がさしたのでもない。恒常的に行われている”操作”に過ぎない。おそらく、満塁になった時に、審判が自分の頭の中で勝手なストーリーを作ってしまったのだ。「決勝だし、8回裏だし、点を取る最後のチャンス。ここで押し出しなら試合が面白くなる。」とか「完封で負けてしまっては負けチームが可哀想。何とか一矢報わせてあげたい。」などの心の声に突き動かされてしまうのではないか。それが、悲劇を生むことになるとは知らずに...。

それにしても、まさか満塁弾までは想定していなかっただろう。佐賀北の打者が満塁弾を放って、ダイヤモンドを一周してホームベースを踏んだとき、審判はどういう気持ちになっただろう。きっと「やってしまった!」と思ったに違いない。

広陵中井哲之監督は「あの1球は完ぺきにストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。その子が言ってくるんだから。子どもたちは命を懸けてやっている。審判の権限が強すぎる。高野連は考えてほしい。これで辞めろといわれたら監督をやめる」と怒りで声を震わせた。

私の憶測がもし当たっているのなら、もうこれ以上”無益で夢を壊す操作”はやめてほしい。プロと違って、高校野球の審判は絶対である。だからこそ、私情を挟まず、公平に中立に淡々と審判してほしい。人間だからミスはあるのは仕方ないが、”大事な場面での致命的なミス”がなくなるような仕組みが必要だ。

例えば、

  • 「主審を2人制にして、判定を出し合って一致したらOK。不一致ならノーカウント(再投球)。」
  • 「判定審査員(陪審員)を6人用意して、監督から意義申し立てがあった場合に6人で協議して判決を下す。」
  • 「判定結果理由を明確にする→PDAのような専用端末を持ち、判定結果理由を(1)〜(5)で入力し電光掲示板に表示。もしくは声に出して言う。(ボール判定理由 (1):高い (2):低い (3):内角外れ (4):外角外れ (5)不明(ノーカウント) など)」

などなど。

広陵佐賀北も「あの1球」によって人生を大きく変えられてしまった。広陵ナインは、憤りはあるとは思うが、判定が覆らない以上、これを徐々にでもプラスのエネルギーに転じてほしい。今後の活躍に期待する。