編集における”門前指南”

“編集”と聞いて何を想像するだろうか?
雑誌の編集、映画の編集、ビデオ・DVDの編集、動画編集、教科書の編集、機関誌の編集、脚本や台本の編集、ぐらいだろうか。

ひょんなことから、編集術の「門前指南」を受けてみた。

編集とは、あるモノやコトを見方を変えることによって、別の何かに替える手法である。
替えるとは、「言い替える」、「書き替える」、「置き替える」、「差し替える」、「組み替える」、「並べ替える」・・・

つまり、分母(視点)を替えてみると分子(物事)が変わって見えてくる。
例えば、コップを取り上げると、素材としてのコップはガラス、お店にあるコップは商品やオブジェ、倉庫にあるコップは在庫、流し台におけるコップは洗い物...となる。この”分母”を意識することで、想起の幅が広がる。これこそ、まさに”編集術”なり。しかし、編集術を知らない我々凡人は、つい分子にばかり目が行くので、そこで思考のカーソルが固定されて、新たな発想ができなくなってしまう。

これを打破するためのコースが、あの”松岡正剛”校長率いる「ISI編集学校」にある。キャッチフレーズは「自分に編集術、社会に編集力 - どんなイメージも だれだったマネージできる -」。コースは「守(基礎)」「破(応用)」「離(専門)」となっている。さらにこれを乗り越えると、師範代への道が拓けている。何だか武道の道場のようだ。”編集道”とでも呼ぼうか。メールを中心とした稽古(通信教育)の受講料はちょっとお高いが、”終了率約80%”と一般の通信教育の5倍は難い。

校長の松岡正剛氏の言葉を引用すると、
「編集とはイメージをマネージすることです。会話も料理も、育児も営業も、政治も芸術も編集なのです。」
ということらしい。

つまり、編集術とは、単なる速読・速記のようなテクニックではなく、言葉の意味と意味とをつなぎ合わせて、新たな意味や価値を生み出して行くもの。つまり、武道と同じで、まず様々な「型」を真似してみる。次に、その型を破ってみる。そして、自分の型を生み出して行く。さらに、それを他の人たちに伝授して行く。

今回、編集術・編集力の無限の可能性を感じた。さすが松岡正剛、おそるべし!!
弟子入りするか、待つか、独自の道を選ぶか???さあ、どうする俺?