突然の涙

いやはや、人生とは疲れるものだ。

今日、帰りの電車で、突然涙が込み上げてきて、周囲の乗客に気づかれまいと、堪えるのに必死だった。涙って、押さえようとすると余計に出るもんだな。それにしても、なんだろう?この思いがけない涙は。

ここ数週間、仕事の進め方で上司とぶつかり、裏で暗躍する別の上司と組んで仕事をしたり、周囲の人たちと対話を進めたりしてきた。理解できない上司の考え。伝われない自分の思い。これまで「人間関係」とか「コミュニケーション能力」などと簡単に口にしてきたことを後悔もした。怒り、孤独感、無力感、絶望感、不信感、劣等感...といった「マイナス」の感情と戦ってきた。

きっと、心が疲れていたんだな。心は疲れると「涙」となってアウトプットされるんだな。

これらのマイナスをプラスに「転換」することはできないか?見方を変えてみる。社長気分で俯瞰してみる。つまり、上司の立場に立ってものを見てみる。俺は編集術を学んできたではないか???「方法」はいくらでもある。

しかし、それにしても、その上司の言葉はどれも独善的に聞こえる。「俺はスゴイ」「俺の考えは最先端を行っている」「俺は戦略家だ」「俺は説明責任を果たしてきた」「おまえらがわかっていないだけだ」「不毛な議論には付き合わない」「勝つには世界標準化と競争力だ」「いずれわかる」...

自分が上司の立場ならそんな発言は絶対にしないだろう。
自慢したい気持ちはわかる。プライドを持つことも大切だろう。しかし、いつまでも上から目線では、部下の心は永遠につかめない。政治的な発言(場当たり的で体裁のいい言葉)は不要だ。”言葉は踊る”。部下はそれほどバカではない。大切なのは、「大きな志」とシンプルでブレない「確固たる信念」。それを、労を惜しまず、いろいろな場面で何度でも繰り返し説くこと。

組織は、やはり「現場の理解と現場のモチベショーン」なのだ。事件は現場で起きる。現場を支える社員やスタッフの意識や一丸となる心が組織の活性と本質的な価値を生み出す。

そこを見ないで、自分の思い通りにしようなんて虫が良すぎる。でも、わかってくれないから、視点や角度を変えて何度でも話をする。それでも変わらない上司。本当はわかっているはずなのに、つまらないプライドのために、意固地になって、殻に閉じこもってしまう。そんなもののために、組織の未来を預けたくないし、犠牲になりたくない。だから、私は諦めない。負けない。戦う。頑張る。

今日の「突然の涙」は、いろいろな思いが錯綜して齎された涙だったに違いない。涙を恥じず、大いに泣いて、次へ前進したい。そうだ、「成長の涙」と呼ぼう。