感門之盟

本日2月24日(日)「感門之盟」に参加した。もちろん、私は初参加だ。

これは、イシス編集学校の盛大なる卒業イベントである。お稽古の周期に合わせた4ヶ月に一度のお祭りといってもよい。まさに「ハレ」の舞台だ。卒業式といっても、代表者に卒業証書を渡して「以下同文」とする卒業式ではない。2時間程度で終了する世間一般の卒業式でもない。13:00−19:00という異例の時間の長さには驚かされたが、笑いあり涙あり感動ありで、温かい雰囲気に包まれてあっという間に6時間が過ぎて行った。

学衆(卒業生)、師範代、師範、編集学校スタッフ、そして、松岡校長と、約200名近くが一同に会した。会場は終始熱気に満ちていた。皆表情が豊かだった。あるハードルを越えた先にある笑顔だ。

「感門之盟」とは、4ヶ月間(ネットというバーチャルな世界だが)教室内で苦労を共にした学衆同士がお互いの稽古の研鑽を讃え合う場なのだ。師範代は学衆の稽古を労い、師範は師範代の指南の労を労い、学匠や番匠(全体を俯瞰し、いつも温かく見守ってくれている北極星のような存在の方々)からは皆への労いの言葉がある。

私たち初心者にとっては、守(基礎)コースの全38番のお題すべてに回答し、師範代から指南を頂き、「卒門」した喜びを分かち合う場だ。ちなみに、破(応用)コースの卒業は「突破」、その上の離(難関)コースの卒業は「退院」というらしい。私は、3月10日スタートの「破」コースへ進学することを決意した。未知の領域に足を踏み入れる不安と期待。稽古の内容や雰囲気は少しだけ聞いているが、相当大変らしい。でも、自分と向き合える場があることが有難い。これは「自分探しの旅」でもあり、世の中の「負の感情」と戦うための武器でもある。

校長は「破」とは「多様性を多様性で破ること」ときっぱり言い切った。「向こうが多様性で攻めて来るなら、こちらも多様性で応戦しようではないか。よし、かかってきななさい。」という心意気が、いい。

さて、学匠や番匠という役どころは、ときどき教室に来ては、励ましの言葉を掛けてくれたり、稽古の内容をわかりやすくフィードバックしてくれたり、校長の「千夜千冊」を引き合いに出して解説してくれたりする。いわば、日々の稽古と校長の思いやうつろいとの「結び役」だ。

一番の醍醐味というか見所は、師範から4ヶ月間学衆と(時には泣きながらも)真剣に向き合ってきた師範代一人一人にオンリーワンの卒業証書が読み上げられ、それに対し、師範代が稽古の感想を述べ、松岡校長から「先達本」と呼ばれる本を授与する場面だ。先達本とは、校長が個々の師範代それぞれを想って練りに練って選んだ「拘りの一冊」なのである。しかも、それを渡すときの校長がともかくカックイイ。師範代も涙ぐんだり、自然と校長にハグしたりと感極まる場面だ。思わず、自分もほしいなぁと思ってしまった。

日頃のご苦労を思うと、私は師範代など到底できないが、ある師範代の挨拶の中で「自分が師範代をやろうと思ったのは、自分が学んできて、成長できたことに感謝し、それを誰かに伝えたいという思いが湧き上がってきたから」との下りが印象に残った。

また、ある師範代の感想からは「不足」と「縁」の話があった。

自分がいくら稽古しても足りないものはなくならない。不足はあって当たり前。これをなくそうと努力をするのではなく、不足があることを自覚し、不足と向き合うことが大切ではないか、というお話。人間完璧はあり得ない、しかし、だから「諦めて何もしない」のではなく、「認める」こと。そして逃げずに「向き合う」こと。なるほど。以前MakeIt21のゲストで「発見力」の小宮一慶さんが「自分はこんなにも気づいていないんだ、ということを認識することが、次の気づきや発見につながる」と話していたことを思い出した。要は「素直に受け入れる心」だろうか。

そして、「縁」とは、編集学校は一旦足を踏み入れると、その居心地の良さに、一旦離れても、またいつか戻ってくる人が多いらしく、その意味で、「縁」が出来たことは大きい。ビジネス上の付き合いやMixiなどのコミュニティとはまた違った「深い部分でのつながり」を感じた。

今日の校長講話の肝は、「苗代(なわしろ)=幼少性・幼弱性」を取り戻すこと。「初めてマッチを擦って火がついたときの喜び」や「初めて氷を割ったときの喜び」や「生まれ出ずる喜びと悩み」を見過ごさず、感じ取り、受け止め、大切にすること。

私はこれらを聞いて、自分が今直面している育児を振り返った。現在イヤイヤ期の子供たちに向かって、つい”ダメッ!”と叱ってしまいがちだが、それって子供たちが新しく感じて、言おうとしていることを排除している(苗代を摘んでいる)ことかなと。子供たちが発する苗代の芽(これを校長はインテリジェンスと呼ぶ)を見逃さずに伸ばしてあげられれば、きっといつか立派な稲穂が実るに違いない、と感じた。今日の大きな収穫だった。

まだまだ語り足りないが、これも「不足」でいい。不足があるからこそ、次への成長があるのだから。
さあ、いよいよ「破」だ。敵は巨大で手強いが、恐れず、楽しみたい。