選ばれし者と除かれし者
2億円の宝くじに当選した岩手の女性が知り合いの男性に殺害された事件が報じられた。
真相はまだよくわからないが、何とも皮肉な事件だ。
”幸せはお金では買えない”ということを証明する事件とも言える。
ちなみに、みずほ銀行では1000万円以上の高額当せん者には各支店で当せん金の受け渡しを行っており、その際には当せん者の「心得」が書かれた小冊子を配布するという。
小冊子は3部構成で、約50ページからなる。
(1)当せん金はすぐに安全な場所に保管すること
(2)興奮せず落ち着くこと
(3)当せんしたことを外にあまり漏らさないこと
(4)使い道には注意すること
−といった「アドバイス的な内容」(担当者)になっているという。
(iZaニュースより)
なお、担当者によると「当せんの事実が他のお客さんに聞こえたりしたら、リスクが生まれる可能性がある。身の安全を考え、別室で対応し、気を使っている」とのこと。
私は、最近まったく宝くじを買ってもいないが、万一当たったらどうするだろうか?果たして、冷静でいられるだろうか?
家族(子供は危険かも)以外に他言はしないことは当然だが、間違いなく、家のローンと子供の教育費、親への恩返し、そして起業資金ですっかりなくなってしまうだろうな。
さて、本題。
とかく、この世は不平等だ。
「ゆったりセレブな人」と「貧乏暇なしの人」
「チャンスを与えてもらえる人」と「貧乏くじを引く人」
「タイミングのいい人」と「間の悪い人」
「運のいい人」と「運の悪い人」
「成功する人」と「失敗する人」
「トラブルを上手にリカバリできる人」と「トラブルに負けてしまう人」
「チャンスを生かせる人」と「チャンスを逃す人」
それは、自分次第。”チャンスは自分でつかむもの”...これも正論
確かに、
「ポジティブな人」と「ネガティブな人」
「いつも笑顔の人」と「いつも眉間にしわを寄せている人」
「爽やかな人」と「粘着質な人」
「優しい人」と「意地悪な人」
「文句や愚痴ばかり言っている人」と「一歩前へと行動する人」
「できない理由を挙げる人」と「どうしたらできるかを考える人」
では”チャンスの絶対数”が異なるように思う。
”笑顔でポジティブな人の周りには良い人が集まる”,”良い人が集まれば運やチャンスも増える”とよく言われる。
要は、自分の気持ちの持ち方一つなのだが、それにしても、不遇な時が長いとさすがに心が折れそうにもなる。
システムトラブルが続いたり、上司にまともに話を聴いてもらえなかったり、やりたいことができなかったり、頑張って仕事をしても認められなかったり、社内政治に翻弄されたり、自分よりも仕事をしていない人がチャンスに恵まれていたりすると、いくら「ポジティブで笑顔」を心掛けても、表情は曇ってくるものだ。
最近では「自分は除外されているのではないか?」との思いを強くすることも少なくない。
考えすぎだと思えるぐらいに、いろいろなモノやコトに”選ばれていない”のだ。
だからといって、上司に噛み付いたり、愚痴ったりしても逆効果であることはわかっている。
わかっているからこそ、悶々とする。
自分を前面にアピールすることが裏目に出ているようにも思う。「私が、私が」は嫌われる元だ。
やはり、アサーション(私の過去ブログ参照:2007-07-17 アサーションによる自己カウンセリング)で行くしかないようだ。
これからは、少し”さりげない自己主張”を心掛けてみようかな。
”伝えたいときは「吠える」のではなく「ささやく」こと”...神田昌典さんの言葉だ。
それと、最近自分で「がまんが足りないかな」と思うことがある。
すぐに他人の意見を否定したり、おかしいと思ったら直ぐにおかしいと言ってしまう。
さらに悪いことに、それを自己の存在価値と勘違いしてしまったりする。
今の私には「忍耐」という2文字が必要だ。
そういえば、小学6年生のときに通っていた進学教室で「おばあちゃん先生」がいつも「忍耐・忍耐」と言ってたっけ。
ご存知「相田みつを」先生の言葉で締めたい。
『忍』
がまんをするんだよ がまんをするんだよ
くやしいだろうがね そこをがまんをするんだよ
そうすれば ひとのかなしみやくるしみがよくわかってくるからみつを
みつを先生の言葉は、いつも心に沁みるな〜。