『私のうつノート』に想う

本日の読売新聞に『私のうつノート』の書評が紹介されていた。

読売新聞の瀧野晋一郎記者が34歳のときにうつ病になってから6年もの闘いの記録が誌上に連載された。

その闘病体験記に、うつ病についての解説や情報を加えて、このたび出版された。

単なる病状の記録だけではなく、自分自身と正直に向き合ったことが窺える。

転職組みだった彼は、生え抜きの記者に負けないように頑張った。いや、頑張りすぎたのだ。

彼の発言の中でも特に注目すべき表現がある。

これまで「使い減りしない」というタフさを、ずっとアピールしてきたつもりだった

書評を書いた「梯 久美子(ノンフィクション作家)さんも『使い減りしない、という表現にドキッとするのは私だけではないだろう。サラリーマンとしてごく普通の上昇志向が、まるでモノのように自分を評価する目を、自分の中に生み出す。そんな中で彼は発病したのである。』と指摘している。

まさに、私はドキッとさせられた一人だ。

なぜなら、私は常日頃から「私は人の10倍働ける。いくらでも仕事はこなせる。こんな仕事、大したことではない。」と豪語しているのだ。

実際に、それだけの自信はある(根拠のない自信ではあるが)。

しかし、相当虚勢を張っているに過ぎない。一人気を吐いて組織を引っ張っている気になっているだけなのだ。

そして、それをよい事に、上層部は私にじわじわと負荷を掛け続けているのかも知れない。

妄想だとは思うが、「コイツにはまだまだ負荷を掛けても大丈夫だな」とニヤニヤ笑っている絵図も浮かんでくる。

これは、かなり危険ではないか???

「うつは体から来る」とうつを経験した親友から聞いたことがあった。急に、朝起き上がれなくなったり、会社に向かう電車から降りれなくなったりと、心と同時に体も蝕むのだ。体に変調をきたした時は既に遅いのだ。

瀧野記者は「双極性障害」だった。つまり、いわゆるうつ病(気が塞ぎ込むタイプ)ではなく、そう状態とうつ状態が交互に繰り返し現れる病気だった。

このタイプは、通常のうつ病とは治療の仕方が異なり、厄介だと言われている。

私がうつだとすれば、間違いなく躁鬱病だと思う。

機嫌の良い時と悪い時の差が激しいからだ。最前線で働いている時はよいが、一度ラインを外れると途端にモチベーションが下がる傾向にある。ラインというか「メインストリーム」から外された時が危ない。

だからこそ、私は本業以外に二足のわらじを履くことにする。現在の本業にしがみつくことはしない。

私は、自分の「居心地の良い場所」を求めて、「自分探しの旅」を続ける。

しかし、しかしだ。そのために、今やっておかなくてはならないことが1つだけある。

現在の業務において、部下の成長を一番に願い、プロジェクトを成功に導くことだ。小さな成功体験だって構わない。自分個人の成功ではなく、組織の成長を優先し、それに向けて、チームをインスパイアすることだ。

私利私欲でも滅私奉公でも、それは絶対に実現できない。コミュニケーション力を駆使して、共有体験・共感体験を積み上げるしかない。

「一人で頑張る」から「みんなで頑張る」へ。

組織全体にその土壌を作っていくことが大切だ。

「ねぎらい」と「尊敬」こそが、それを支える共通インフラだと確信している。



今日送られてきた『神田昌典365日語録』の言葉が私の心に刺さった。

キーワード:
「闇は、闇で追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。
憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけが、それを可能にする。」
マーチン・ルーサー・キング

解説:
自分の価値観に凝り固まる結果、他人の価値観を否定することがあってはならない。
異なるもの同士が尊敬して、高めあうからこそ、創造性が生まれる。

〜「仕事のヒント」神田昌典365日語録より〜

価値観が違うことを憂いてはいけない。むしろ喜ぶべきで、価値観の摩擦によって、潰し合うのではなく、新しい価値観をマッシュアップできれば、みんなが成長できるし、成功へとつながる。

きっと、この『共感成功体験』こそが、いじめやうつ病など負のスパイラルを生み出さない土壌づくりにもつながるのだろう。

「甘い」と一蹴されるかもしれないが、私は、今後も『負のスパイラルを正のエネルギーに転換する』研究や取り組みをしていきたい。