『おくりびと』アカデミー賞受賞に思う

第81回米アカデミー賞外国語映画賞に輝いた『おくりびと』はずっと見たいと思っていて、いまだに見れていない映画の1つだ。

というか、子供が生まれてから映画館で映画見てないな〜。

DVDでさえ、大人向けの映画はままならないからなぁ。

おくりびと”と”隠坊”の関係が知りたくて、ネットを調べていたら下記のブログにたどり着いた。

DJ・パーソナリティーの小川もこさんのブログだ。

日本では、昔から 冠婚葬祭の中でも「死」にかかわる職業は何かと偏見を持たれてきました。
「隠坊」という言葉は差別につながります。
この映画でも、実際、自分の夫が納棺師という職業についたことを後で知った妻が、「やめて、けがらわしい!」と その手を振り払うシーンが出てきます。
(小川もこ Life is Beautifulより)

『隠坊』という言葉は、年末の「連塾(JAPAN DEEP)」で、松岡正剛先生から、初めて聞いた言葉だったが、これが差別用語だとは知らなかった。

隠坊とは「火葬場や墓の番人」のことらしいが、Yahoo!辞書によると「古く、火葬や墓所の番人を業とした人。江戸時代、賤民の取り扱いをされ差別された。」とのこと。

しかし、「おくりびと」では、そんな納棺師の仕事が、尊く美しく芸術として描かれているらしい。

でもね。この映画を観ていると、それが どんなに静謐で、命の尊厳にあふれ、尊い仕事かが解っていくのです。
(中略)
ご遺体の顔をゆっくりと撫で、
硬く組んだ指をほどき、
身体を清め、
身支度を整え、
髪を梳かし、
うっすらと化粧を施す。
美しい所作で執り行われるその一連の動きは、もはや祭礼の儀式を越え、芸術でした。
(小川もこ Life is Beautifulより)

そして、圧巻は主演の本木雅弘さんのフレーズである。

映画のパンフレットに掲載された 本木雅弘へのインタビューに、こんなフレーズがありました。

「実際の納棺を拝見したとき、納棺師の仕事に対して役者的に憧れてしまった。洗練された所作が非常に美しく、茶の作法のようであり、パフォーマンス性もある。(中略)数時間後には焼かれ消えていく人を綺麗に整え、最後の時間を慈しむという 人間同士のひたすらやさしい想いが全体を覆っている。僕は自分の子どもの出産に立ち会いましたが、そのときと同じ悦びさえ感じました。つまり 生まれることも、亡くなることも、そして迎えることも、おくり出すことも同価値であると。」

モックンすごい。すてきだ。
あの仙八先生から こんな素敵な役者になったのだなぁ。

(小川もこ Life is Beautifulより)

ホント、モックンすばらしい!

確かに、「2年B組仙八先生」での不良役のシブガキ隊がこんな進化を遂げるとは、人類とは偉大である。

そういえば、本田恭章?はどこへ行ってしまったのだろう。「ナイフだけが友達」の名台詞が懐かしい。

モックンは私と同世代なので、頑張っている姿を見るのはうれしい限りだ。

納棺の儀式(葬式)は、国それぞれスタイルは異なるのかもしれないが、日本人が目を向けてこなかった”負の日本文化”に、新しい価値を与えることで、日本人自身がその文化を再発見し、外国人がそこに神秘的な美を感じたということなのかもしれない。

これこそ、まさに負から正への見事な転換である。

ともかく、一度映画を見てみないことには、これ以上は語ることは許されないだろう。