一人一人とじっくり向き合うということ
やっぱり、折れてました。
左胸のあばら骨。
道路で派手に転倒してから、1週間。
痛いなぁ、病院どうしようかなぁ、とやり過ごしていたが、全然痛みが引かないので、今日は思い切って職場近くの病院へ行ってきた。
17時で仕事を中抜けダッシュして、ともかくエントリだけしたら、「1時間半待ちです」と言われ、困った顔をしていると、「順番が近づいたら職場にお電話します」と言ってくれたので、お言葉に甘えて職場に戻って仕事した。
何ともあり難いサービスが出来たものだ。
ビジネス街のお医者さんだけあるなぁ、とつくづく感心しながら電話を待った。
ともかく、この間を無駄にしないようにせっせと仕事した。
なにせ、この時期、というか現状、仕事はいくらでもあるのだ。
19時近くになってようやく電話が来て、飛んでいったら、そっからまた30分以上待たされて、ようやく自分の順番がやってきた。
そこから、レントゲンを4−5枚撮って、さらに待ち、ようやく診察となった。
「折れているっぽいね。見づらくて微妙だけど、かすかに1ヶ所骨がずれているところがある。」
確かにレントゲンを見ると、正常な骨は一筆書きできるぐらいに肋骨がスムーズに連なっている。
肋骨はいくつも重なり合っているため、見えづらいのだ。
しかし、担当医は僅かな変化や違和感を見落とさなかった。
ともかく、様々な角度からじっくりと時間を掛けて、見ていた。
結局、「あと3週間はかかりそうだね。しばらくは湿布とバストバンドで固定して置いた方がいいね」とのことで、診察は完了した。
あとは、労災認定が下りるかどうかだ。
労災が認められれば全額戻ってくるが、認められなければ通常の3割負担となる。
ダメ元で、労災認定を受けることにした。
まあ、通勤途中のケガだから下りることは間違いないだろう。
それにしても、グイグイと患部を圧されたのには参った。
激痛スポットを圧されながら「はい、深呼吸して」と言われたが、とても呼吸などできる状況ではなかった。
おかげで、痛いのが3倍増ぐらいに増してしまった。
しかし、この病院、人気があるのだ。
ネットでこの整形外科病院の口コミを見てみたら、以下のようなコメントがあって、妙に納得してしまった。
X線写真を撮影途中に医師が確認し、必要に応じて追加の撮影をすぐに指示することで、必要かつ迅速な診断がくだせるようにしている。診察と治療、説明が丁寧で一人にかける時間が長い。その分待ち時間が長めなのは仕方が無い。
そう、一人一人とじっくり向き合うのには、とても時間が掛かるのだ。
しかし、それは、あらゆるコミュニケーションにとって大事なことである。
『白い巨塔』の財前教授と里見教授を思い出す。
自信家でメス捌きは超一流だが人を見ない財前教授と患者と徹底的に向き合い患者にとって最善の方法を見出す努力をする里見教授。
たとえ「死」という結果は同じだとしても、そのプロセスにより患者や遺族が納得できるかできないかは雲泥の差だ。
特に、医療・介護・福祉など、社会的弱者を相手にする人々には絶対に必要なスタンスだろう。
あらゆるコミュニケーションにおいても、一人一人と向き合う姿勢は重要である。
こちらは One of Them であっても、ユーザーや患者は、One to One なのだから。
メンタルヘルスケアを対象としたクリニックでは、絶対必須要件ではなかろうか。
先日、TVでもやっていたが、うつの人が増えていることから、ここ数年メンタルクリニックの数が急増しているらしいが、処方の仕方はまちまちで、薬の量も格段に違うらしい。
場合によっては、薬の副作用によって、倒れてしまう人も少なくない。
何が作用で、何が副作用かもわからないぐらいに多数の薬が処方される。
中には、患者の顔をまともに見ずに、話もろくに聞かずに、躁鬱病か鬱病かも判断できすに、薬を出すところもあるらしい。
単に時代のニーズだからと、患者と向き合う覚悟もないくせに、メンタルクリニックの医師を標榜するケースが多いようだ。
というか、誰でも簡単に標榜できてしまうしくみ自体に問題がありそうだ。
明日、労災認定の書類をもらってこようっと。
あと3週間は長いが、完全治癒した姿をイメージして過ごすとするかな。
『親と健康は失ってからわかるもの』とはよく言ったものだ。