太宰治、生誕100年に想う

太宰治

それは、私が大学時代に最もハマッた(傾倒した)作家である。

津軽、没落貴族、虚構、道化、嘘、酒、麻薬、女、借金、芥川賞、文壇との確執、結核、心中、自殺未遂...

そして、絶対に自分の中から亡くならなかった一匹の虫「ロマンティシズム」。

太宰を表す言葉は実に様々だ。

孤独で自分に自信が持てなかった私は、太宰の優しさと寂しさ、人間本来が持つ弱さを露呈する強さなどに惹かれていた。

あれから、20年ぐらい太宰から遠ざかっている。

意図的に避けていた訳ではないが、本やTV番組などで目にする機会はほとんどなくなった。

しかし、ネットで下記ニュースが目に飛び込んできた。

今年は作家太宰治(本名・津島修治、1909〜1948)の生誕100年。太宰が晩年を過ごした東京・三鷹市と生誕の地の青森県五所川原市で、6月20日に「第1回太宰治検定」が行われる。前日の19日は太宰の誕生日で、入水した太宰の遺体が見つかった日でもある。
asahi.com −生誕100年「太宰治検定」 青森・五所川原NPO− より)

そうか、太宰も生誕100年か。

39歳の若さでこの世を去った太宰がもし今生きていたら100歳とは、何とも不思議なことだ。

まだ、100年なんだ。

100年って意外に長いような気がする。

100歳まで生きることは、破滅的な男には絶対にあり得ないことだ。

「生まれて、すみません(二十世紀旗手)」という言葉を残しているし、自殺未遂や心中を繰り返しているし、何しろ太宰らしくない。

それにしても、「第1回太宰治検定」とは、どのような企画なのだろうか。

真面目な取り組みかハタマタ冷やかしか。

「第1回太宰治検定」を企画したのは、五所川原市の二つのNPOで構成する「太宰治検定実行委員会」。受験用に、「太宰治検定公式テキスト 旅をしようよ!『津軽』」(178ページ、1890円)を作成し、同県と三鷹市の書店などで販売を始めた。

 テキストは太宰の小説「津軽」を題材に、物語を読み進めながら津軽地方や太宰について学べる仕組み。検定の問題は「津軽」と公式テキストから出題され、択一式で100問予定されている。

 出題はこんな感じだ。

●例題1 小泊村(現・青森県中泊町)で、太宰と(子守の)たけは30年ぶりに再会する。再会場所はどこか。
 (1)たけの自宅(2)国民学校運動場(3)竜神

●例題2 深浦(青森県深浦町)で太宰が宿泊した旅館は現在どんな施設になっているか。
 (1)ふかうら文学館(2)深浦郵便局(3)深浦観光案内所

asahi.com −生誕100年「太宰治検定」 青森・五所川原NPO− より)

うーん、太宰をもっと知って欲しいと願う企画なのか、町興しかわからないが、地元の人か太宰研究家しかわからないようなローカル問題が多いようだ。

それよりも、私が興味を引いたのは、下記の太宰本の購入・貸出ランキングだ。

今どきの学生は太宰をどの程度読んでいるのだろうか?

特に、太宰が過ごした中学、高校、大学の「後輩」たちの間では、どう読み継がれているのだろうか?

■表1 青森高校(旧制青森中学)図書館の貸し出し上位作品
1位 容疑者Xの献身(東野圭吾
2位 ×ゲーム(山田悠介
3位 アキハバラ@DEEP石田衣良
4位 一瞬の風になれ 第1部 イチニツイテ(佐藤多佳子)、恋空 切ナイ恋物語(上)(美嘉)
6位 恋空 切ナイ恋物語(下)、図書館戦争有川浩)、パズル(山田悠介)、ホームレス中学生(田村裕)、夜のピクニック恩田陸
    〜〜〜
45位 人間失格、斜陽(太宰治

■表2 弘前大(旧制弘前高校)生協でのランキング
1位 人間失格(52冊)
2位 斜陽(19冊)
3位 津軽(8冊)
4位 きりぎりす、お伽草紙(各4冊)
6位 ヴィヨンの妻走れメロス(各3冊)
8位 晩年、パンドラの匣、グッド・バイ(各2冊)

■ 東大生協(本郷)でのランキング
1位 人間失格(89冊)
2位 斜陽(36冊)
3位 お伽草紙(14冊)
4位 ちくま日本文学008(13冊)
5位 走れメロス(12冊)
6位 津軽(11冊)
7位 晩年(10冊)
8位 グッド・バイ(7冊)
9位 パンドラの匣、もの思う葦、新ハムレット(各6冊)

《注》大学生協のランキングは、弘前大が07年12月〜08年12月、東大が08年1年間の販売分。複数の出版社が出している作品は、売上冊数を合計した。「人間失格」には集英社新書の「直筆で読む『人間失格』」も含む(弘前大は4冊、東大は11冊)。

asahi.com太宰治生誕100年 「後輩たち」何を読む− より)

地元の高校生はほとんど関心がなさそうだが、やはり大学生には相変わらずの人気だ。

しかし、なぜ大学生になると太宰を読みたくなるんだろう。

「武蔵野情話」で太宰との関わりの深いみなみらんぼうさんは「麻疹の一種のようなもので、誰でも一度は罹るもの」と表現されていたが、悩み多き思春期・青春時代に自分の弱さや愚かさをそっと投影させてくれる対象に最も適している作家・作品・作風なのかも知れない。

もやもやとして、やるせなくて、寂しくて、情けなくて、でも自分の力ではどうすることもできない気持ちを一番良く表現してくれる作家なのだろう。

それを越えて大人になってしまうと、その時の甘酸っぱい気持ちを忘れてしまう。

学生時代は割り切れなかったことが、大人になるとすぐに割り切れてしまうのはなぜだろう。

「集中する(固執してしまう)こと」から「分散する(他に楽しみを見出せるようになる)こと」へのシフトチェンジだろうか。

その答えは、今この瞬間思うに、「大人になること=(自分や他人を)許せること」なんだと思う。

若い頃は、かっこ悪い自分や意地の悪い他人が無性に嫌で、決してそれを許せない自分がいて、その結果、自分や他人を深く傷つけてしまうことも少なくない。

しかし、大人になるにつれ、段々と許容力が大きくなり、少しずつ「それは仕方ないことだよ」とか「そんなことで一々怒っていたら、組織や集団生活は営めないよ」とか思ってしまうから、それ以上踏み込まないことも多い。

つまり、暗黙のうちに「許してしまう」ことなのかも知れない。

私が、初めて太宰と出会ったのは、中学生のときに教科書で読んだ「走れメロス」だった。

こんなにも生き生きと力強く、そして赤裸々に男の友情を描いた作品はなかった。

中学生をして、「男のロマン」とまで言わしめた作品だった。

大学生になって、いくつかの代表作を読んでから、ふと「走れメロス」を再読した時、思わず涙が出た。

「太宰って、こんなプラス思考の作品も書けるじゃないか」と思ったら、何だか泣けてきたのだった。

太宰は何より「愛想笑い」とか「お道化」が嫌いだった。

でも、そうせざるを得ない現実の自分がいて、だからこそそれが堪らなく嫌だったんだろうな。

『大人になりたくないけど、大人にならざるを得ない自分』

これとの戦い(葛藤)があったんだな。

今の自分とオーバーラップする部分が多い。

ゴマすり、媚び諂い、ゴロにゃん、はしたくない。

ただ、純粋に良いものを良いと言いたい。

自分の良心に従って生きて行きたい。

今でも、私の中に太宰は生き続けている。

きっと、これからも、ずっと。