清志郎の死に思う
フォークロックのカリスマ、清志郎が亡くなった。
早過ぎる死。享年58歳だった。
中学時代、友人たちの間で一大ブームを巻き起こし、数々のメッセージソングは今でも心に残っている。
歌だけではなく、反骨的な生き方やスタイルに憧れた。
ただ反骨的なだけではない。
愛されキャラなのだ。
ステージでは大暴れするが、普段は寡黙な人だった。
2面性を持っていた。
でも、よくよく考えてみれば、誰でも2面性(もしくは多面性)を持っているのではないだろうか。
外でよくしゃべる人は、うちでは静かだったりする。
お笑いの人は、普段はつまらなかったりする。
ハレ(晴れ)とケ(褻)。
そうやって、人はバランスを保っているのかもしれない。
ところで、清志郎のカリスマ性はどこから来るのだろう。
ステージのパフォーマンスも、普段のTVでの発言も、どれも面白かった。
過激なことを言っても、どこか可愛げがあって、どこか安心感がある。
単に吠えているだけではなく、ファンに付け入る隙を見せてくれる。
だから、愛されるんだな。
すぐにファンの心を掴んでしまう。
武田鉄矢さんが話していたが、「ステージでは一旦火が点いたら手が付けられない」「一緒にステージに立っても清志郎にファンを全部持ってかれてしまう」といった具合に、ファンの懐に深く入ったロックシンガーだった。
三浦友和、泉谷しげる、井上陽水、坂本龍一など同世代の芸能人からも人望が厚い。
竹中直人、甲本ヒロト、斉藤和義など数多くの後輩からもリスペクトされていた。
同世代の音楽評論家・加藤普さん(60)は、清志郎の魅力について次のように語る。
「彼の音楽は単なるエンターテインメントではなく、自分の意志・生き方の表明だった。清志郎さんは自分の意志に正直に生きた人だと思います。自分が正しいと思ったことをやる。これはおかしいじゃないかと思うことを言える。破滅的なロックと言うよりは、体制の批判者だったんですね。恰好だけではなく、真剣に生きているということそれ自体が本質的にロックだったんです。そのために、無条件に信頼されたのではないでしょうか。(中略)闘病もそうですが、彼はいつも生に対して、真剣に向きあってきた。真面目だった。だから、私はその死さえメッセージではないかと思うのです。我々はそれを引き受けなくてはならないと思います」
清志郎の破天荒さは真面目ゆえのお道化だったのだろうか。
カリスマ性や信頼感は、真剣さと偽らない正直な心から生まれる。
清志郎の生き方は真似できないが、見習うべき点が多い。
私も清志郎の死を無駄にしない。