今日の三冊(「三冊屋」に学ぶ)

本は三冊で読む。

これは、松岡正剛氏のイシス編集学校プロデュースの「三冊屋」の基本コンセプトだ。

著名人や編集学校の師範が、ユニークな発想や視点で自由に三冊をセレクトし束ねて、書店の書棚に陳列する。

むろん、単に同じ著者の本や似たようなジャンルの本や敵対する著者の本をセレクトするのではない。

一見まったく関係なそうなのに思わぬところでつながっているとか、どれだけ飛べるか(発想の飛躍)がポイントとなる。

無難な選択ならしない方がマシ、というぐらい大胆なセレクトが要求される。

最近多忙に拍車がかかり、本屋にさえ立ち寄ることもままならなかったが、久々に帰りに書店(Book1st)に立ち寄ったので、衝動的に三冊を選んでみた。

1.ネイティブの子供を手本にすると 英語はすぐ喋れる (青春新書インテリジェンスシリーズ) (新書) 晴山 陽一 (著)

2.シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代 (単行本) 梅田望夫 (著)

3.地図 初期作品集 (新潮文庫) (文庫) 太宰 治 (著)

直観というと大袈裟だが、ものの5分ぐらいでこの三冊をピックアップした。

もちろん、自分が読みたい本であることは間違いない。

三冊に共通するテーマは、ズバリ「原点回帰」だ。

英語をいくら勉強しても話せるようにならない(”勉強している”からダメなのだが)。

私の英会話力は、2歳のネイティブスピーカーにも及ばない。

つまり、自分の欲求すら伝えられない。

英米のネイティブの子供たちの会話に耳を澄ませてみると、その自由で柔らかい発想や表現に驚かされる。

将棋の魅力に取り憑かれたのは、小学生の頃だった。

親友が将棋オタクだったことも手伝って、将棋をやる機会に恵まれた。

大山、中原、米長といった名人に憧れたものだ(古いな〜)。

将棋クラブに入って毎日対局に明け暮れるが、なかなか勝てない。

型を覚えるのが精いっぱいで、それを応用する域にいかないまま将棋への熱が冷めてしまった。

梅田望夫さんは、熱狂的な将棋ファンで自身のブログで「ネット観戦記」とかほぼ毎日将棋のことを書いているほどだ。

羽生名人が、対戦相手や自分自身や将棋そのものとどう向き合ってきたのか。

勝負への拘りや美学や泥臭さ。

そこには、膨大な情報を迅速に整理する能力が必要とされる。

そして、それを磨くための「守・破・離」のプロセスとブレークスルーポイントが知りたくなる。

最後に、太宰の「地図」は太宰の出発点がわかる。

中学生のころの作品〜メジャーになるまでの作品群が詰まった短編集とでも言おうか。

今までは、太宰の著名な作品群にしか目を向けてこなかったが、実はその原点を見てみると、たくさんの原石で埋め尽くされていたことがわかる。

太宰ワールドの母型ともいうべき世界観は、当時から脈々と流れていたのだ。

太宰は、どのように作品づくりをしたのか、またしようとしていたのか。

果たして、太宰のストーリーはどのように生み出されたのか。

つまり、これら三冊は「思考やアイデアの起源が知りたくなる」三冊であり、「自分や自分が取ってきたプロセスを見直すきっかけとなる」三冊ということになる。

単なるこじ付けかもしれないが、これからも三冊を同時並行的に読み進め、「点」を捉え、更なる「線」や「面」を探っていきたい。