伝わらないもどかしさ

最近特に、海外システムベンダーと直接メールでやり取りするケースが多い。

日本のベンダーと違って、営業に言えば少しぐらいの無理は利くという慣習はない。

しかも、国内ベンダーが仲介してくれる訳でもない。

一応、社内にも英語の堪能な方はいるのだが、技術的な話をいちいち通訳していただくのは忍びない。

それに、間にいろいろな人が入れば入るほど、解釈やニュアンスが微妙に変化し、連想ゲーム化してくる。

だから、自分でやるしかない。

電子辞書や英辞郎を駆使して、伝えたい文章を組み立てる。

昔から、英作文は好きだったから、それ程苦にはならないが、伝わっていないことが多い。

というより、向こうから来たメールのニュアンスやトーンや真に言いたいことが見えないから、ズレが生じることが多い。

向こうも英語は得意とはいえ、ネイティブではないのだ。

それに、向こうは決して自分の非を認めない体質がある。

謝ったり余計なことを書いてボロが出るのを恐れているのかも知れない。

常にこちらのせいにする傾向もある。

だから、メールでケンカすることも少なくない。

まあ、怒ってもどれだけ伝わっているかは微妙なのだが。

先日の例では、「インストールできないからpermissionをくれ」としきりに言われて、てっきり「技術的な権限」のことだと解して、すでにsudoコマンドでsuになれるのだから、そっちで対応してほしいと言ってみたが、対応してくれなかった。

要は、「手続き上のpermission」ということだった。

こっちからは散々「こっちの準備は終わったからインストールに着手してほしい」と話していたのだが、それが正式な依頼文書とはみなされなかったようだ。

三者から「これはテクニカルな問題ではなくコミュニケーションの問題では?」と聞かされて、ようやくわかったため、バカらしくも相手に「正式に権限を与えますので、インストール作業に着手願います」と返事を出したら「Excellent!!」とだけ返ってきたときには怒りとため息が入り混じった感情が込み上げてきた。

”ふざけるな!これがグローバル・コミュニケーションというものなのか?”

確かに、日本人同士でもこういった話は少なくない。

相手のやり方のズルさを感じつつも、コミュニケーションの基本である「わかったフリをしない」,「言葉を尽くすこと!」といった意識が欠けていたことを痛感した。

ふと、昔、自動車教習所で習ったことを思い出した。

”「だろう運転」ではなく、「かもしれない運転」を心がけよ!”と。

「きっとわかってくれるだろう」ではなく、「もしかしたら誤解されているのでは?」とか「もう一度表現を換えてメールを送ってみよう!」といった姿勢が必要だったのではと反省をしてみる。

自分の言いたいことだけ伝えようと躍起になるのではなく、自分がいいたいことが文化や慣習の異なる相手に伝わるためにどうしたらよいか?などをメンバー間でも共有し、アイデアを出し合って、上に提案して実践してみる姿勢が必要だと思われる。

とにかく、よりシンプルに伝えるためのメソッドを模索し、手を換え品を換え工夫して行くしかなさそうだ。