タイガーマスクよ永遠に!
二代目タイガーマスクの三沢光晴さんが、先日(13日)46歳の若さで急死した。
広島市で試合中に年下のレスラー(斎藤彰俊さん)にバックドロップを浴びた後、意識不明となった。
リング上で関係者が心臓マッサージやAEDで蘇生を図ったが、意識は戻ることはなかった。
そして、病院に運ばれたが、程なく死亡が確認された。
斎藤選手は「(三沢)社長はまだまだやりたいことがあったのに。おれがあんなことをしちゃって。どんな重い十字架でも背負う」と涙ながらに話したとのこと。
無論、斎藤選手に罪はない。
確かに、三沢選手は少し前から体調が悪かったようだが、リングに上がったらそれは理由にはならない。
もしそれを知っていたとしても、手を抜くのは失礼だ。
二代目タイガーマスクとして登場し、ジュニアヘビーで頂点を極めたにもかかわらず、マスクマンとしての限界を感じ、自ら試合中にマスクを脱ぎ捨てたのだ。
正確には、下記ウィキペディアの記述を参照されたい。
※1990年5月14日 - 川田とのタッグで谷津、サムソン冬木(冬木弘道)と対戦。試合中冬木の執拗なマスク剥ぎ行為にあい、自らマスクを取って投げ捨て冬木に突進。素顔の三沢光晴に戻る。広島県立体育館にてアジアタッグ王座初防衛後に返上。
※三沢のイメージカラーである“緑”はこの時期に固まった。
これは衝撃的な事件だった。
マスクを脱いだ理由について、後に本人が語った言葉が印象的だった。
『タイガーマスクのキャラクターが強すぎてなかなか自分が出せないし、マスクマンのままではこれ以上、上を目指すことはできない。ヘビー級で天下を取ったレスラーにマスクマンはほとんどいない。』
劇画のタイガーマスクの殻を破りたかったのかもしれない。
さらには、初代タイガーマスク(佐山聡氏)を超えたいという意識もあったに違いない。
そして、ジュニアヘビー級からヘビー級に転身し、師匠のジャンボ鶴田を破って引導を渡した。
2000年には、全日本プロレスを退団し、念願だった「プロレスリング・ノア」を旗揚げした。
旗揚げの日、リング上で挨拶する三沢代表の声は震えていた。
苦労の末に、一つの夢が叶った瞬間だった。
これが、苦難の社長業の始まりでもあった。
寡黙でやさしく若手レスラー思いで、人望も厚かった。
しかし、内に秘めた情熱は人一倍強かった。
『すべての格闘技の中でプロレスが一番強い』,『自分にはプロレスしかない』と語る目には炎が映っていた。
だからこそ、夢を形にするために独立したのだろう。
しかし、社長業は楽ではなかった。特に、プレーイング・マネージャは過酷を極めた。
社長兼看板レスラーの三沢さんの立場は、プロ野球のプレーイングマネジャー(選手兼監督)を上回る過酷な重職。とりわけ、今年3月にテレビ地上波中継を打ち切られてからは金策に頭を痛めていたという。「不況下で苦悩する中小企業の社長さんさながら」との指摘も聞かれる。
(中略)
今年3月、日本テレビがノアの地上波中継を打ち切った。現在はCS放送の「日テレG+」と「サムライ」が中継しているが、「放映権料が年間1億5000万円とも2億円ともいわれた地上波に比べると、CS放送のそれは微々たるものでケタ違い。三沢社長は大幅な収入減に頭を抱え、体調が悪いとも漏らしていた」(プロレス関係者)といわれる。
(Yahoo!ニュースより引用)
重職に加え、不況のあおりを受け日々金策に頭を痛めていたと聞くと、ただならぬ心労もあっただろう。
社長の苦労というものが、ヒシヒシと伝わってくる。
ところで、二代目タイガーは、初代タイガーと接点はあったのだろうか?
私を含め、多くのファンがずっと待望していた試合が、昨年末に実現した。
2008年12月4日 - リアルジャパンプロレスの後楽園ホール興行で、これまで多くのファンが待望していた初代タイガー・佐山との初対決がタッグマッチで行われる事が決定した。
しかし、残念ながら、1vs1のガチンコ対決ではなく、ペアマッチだった。
試合自体は、三沢側に軍配が上がった。
○三沢光晴、鈴木鼓太郎(15分24秒 エメラルド・フロウジョン)初代タイガーマスク、ウルティモ・ドラゴン×
佐山はこのカード実現のきっかけを以下のように語った。
「単純にタイガーマスクの集大成として(2代目タイガーの)三沢選手とやってみたかった・・・・。三沢選手の試合はあまり見たことないが、ダイナマイトキッドとか小林邦昭は軽いから動けるのは当たり前じゃないですか、それが三沢選手の場合、ヘビーなのにダイナミックに動けるわけですよ。それとね、ウチの道場の渡辺館長が足利工大付属高校時代の三沢選手の同級生で男気があると話は聞いているんですね。そこでピンときたものがある。そうだ、この男となら面白い試合がやれると」
三沢と佐山の、マスクの下に秘めた静かなる男気が伝わってくる。
最後に、私が少年時代憧れた劇画『タイガーマスク』の終わりの歌『みなしごのバラード』の一節を紹介したい。
意外に知られていないのだが、私は小中学生の頃、好きでよく口ずさんでいた。
ひねくれた少年時代を思い出す。そして、今もそれは大して変わっていない。
あたたかい 人の情けも 胸をうつ あつい涙も
知らないで 育った僕は みなしごさ
強ければ それでいいんだ 力さえ有れば いいんだ
ひねくれて 星をにらんだ 僕なのさ
ああ だけど そんな僕でも あの子らは 慕ってくれる
それだから みんなの 幸せいのるのさ
タイガーよ永遠に!!
そして、三沢社長お疲れ様でした。