誕生日おめでとう!!〜私のかわいい子どもたち
今日は子どもたちの4歳のバースデーだった。
早いもので、もう4歳。
切迫早産で救急車で運ばれ、1カ月近く入院した末に、ようやく出産となってから4年。
母子ともに危うかった状態からよくここまで大ききなってくれたなぁ。
今では生意気な口も利くようになって、親への文句や兄弟げんかも絶えない。
双子とはいっても、うちは貧乏なので、同じものを2つ買ってあげる余裕はない。
1つのものを交互に使うしかない。
「同時接続数」は常に「1」なのだ。
子どもは常に「今○○がしたい」の連続だから、そこをうまく散らすにはテクニックが要る。
「やって楽しむ」と「見て楽しむ」の2つの楽しみを覚えさせ、できるだけ一緒に楽しませるように誘導するのだが、結局は「先攻」・「後攻」のターンを短くして散らすことが多い。
子どもを納得させるには、子ども自身に選択権を与えることが重要なようだ。
同じものが1つしかない時、そこに集中しないよう、もう1つがいかに魅力のあるものかを親がプレゼンする。
そして、子どもたちに再度「選択」を促し、決めさせる。
親はドキドキしてそれを待つ。
果たして、こんなことをして、うちの子どもたちは我慢を覚えてくれているのか?それともストレスが溜まっているだけなのか?
親の思いも身勝手で、子宝に恵まれない時は「妊娠さえしてくれれば」という思いがあり、出産前は「五体満足で生まれてくれればそれでいい」とだけ思っていたが、生まれてみると「ミルクを飲んで元気にスクスク育ってほしい」と昇格し、2-3歳になると「なるべく病気やゲガをしないでほしい」となって、最近では「少しは親の苦労もわかってほしい」となってきた。
遅まきながら、親の心が最近になってようやく少しわかってきたような気がする。
それにしても、悩みとういうものは、留まることを知らず、状況に応じてステージアップするものだ。
生きている以上悩みは付き物で、悩みが無くなったら人間終わり。
というが、きっと死ぬ寸前まで悩みを持って死ぬことだろう。
どんな死に方になるかわからないが、できることなら笑顔で別れたいものだ。
生と死。それは、避けられない現実。偶然ではなく必然。
死を意識することで、思いっきり生に執着したいと思う今日この頃である。
子どもたちは、今一番かわいい盛りだ。
人格形成においても一番大事な時でもある。
そんな時期にはできるだけ子どもたちと一緒にいる時間を増やしたいものだ。
そして、かわいい子どもたちといつまでも幸せに暮らせますように...
Happy Birthday to mmtiwins!!