カウンターパートとしか話ができない可哀想な人々

ピラミッド構造にどっぷりと浸かって仕事をしている人ほど、フラットでカジュアルな対応(特に”中抜き”)を嫌う傾向にあるようだ。

今日ある打ち合わせで、さる課長から「あなたは私の”カウンターパート”ではない」「然るべき人と話がしたい(それはあなたではない)」といったニュアンスの発言を受け、違和感というか、嫌悪感というか、憤慨してしまった。要は「責任者呼んで来い」ってことだから。責任者としか話ができない人って悲しいよね。

いくら本質や核心を突く提案をしても、「それは議論の余地がある」と逃げに回られてしまう。組織としての意見よりも、「あなた自身どう思うのか?」を聞きたいだけなのに、個人的な発言は一切しない。部長に何も話すなと言われているのだろうか?それとも、NDA(機密保持契約)に基づくものなのか?所詮スタッフ同士でそれはないだろう。つまりは、そのような「必ず上司に相談してからしか答えない。不用意な発言や個人的な発言はしない。責任を取らない。」仕事の仕方が染み付いているのである。

そもそもカウンターパートとは「交渉や共同作業を進める際の,互いに対等な地位にある相手」ということらしい。
つまり、先ほどのケースで言えば、課長は課長、部長は部長と話をするべきであって、職位や身分を越えて気軽に話してはならない、とも取れる。

しかし、主任や課長代理クラスの人間であれば、課長補佐という立場で、もっと自由に部課長と話ができてもいいはずだ、と思う。

Googleのように「完全にフラットにせよ」と言っている訳ではなく(いやGoogleとて完全フラットではない)、「ピラミッドをもう少し低くする」とか「上下間、部署間で自由闊達な意見交換の場があってもよいのではないか」ということなのだ。100歩譲って「カウンターパートを明確にする」ということでも良い。要は、曖昧が良くない。

こういった話をすると、必ず出てくるのが「ケース・バイ・ケースだよ」とか「臨機応変に柔軟に行こうよ」とか言う人が多いのだが、曖昧なままにしておくと「まず誰と話をすればよいのか」、「どのルートを通せばよいのか」などを案件毎に考えなくてはならず、思い悩む時間が増えて相当な稼働がかかる。それもトレーニングの一環と言われればそれまでだが、いつまでもトレーニングをしている訳にもいかない。スピード感を持って対応していかないと、どんどん競争に乗り遅れてしまう。市場は待ってはくれないのだ。

私の使命は、Just Idea!でどんどん新しいサービスをプッシュしていくこと。50%の完成度で構わない。後はユーザーと共にサービスを育てて行く。但し、ユーザーを混乱させないように、常にわかりやすく、直感で操作できるようなインタフェースで裏側のサービスをラッピングすることが肝要だ。

とにかく、私は挫けずに「フラット&カジュアルなコミュニケーションができる組織」を目指して、”まっすぐな気持ち”で頑張りたい。
「直球ばかりじゃなく、たまには緩急付けたり、変化球も投げると効果が増すよ」と心の声が聞こえてくる。「もちろん心得てるさ!」とリアルな自分がつぶやく。