「人をダメにする組織」と「組織をダメにする人」

真面目で優秀な人ほど、倒れて行く。「倒れる」と言っても、肉体的に倒れるのではなく(それはそれであるが)、心が折れてしまうのだ。

それはなぜか?

思うに、真面目で優秀な人は大抵「完璧主義者」であり、必ず「自分の型(理想形)」を持っていて、仕事の進め方から作業内容の細部に至るまで、何事もその型に当てはめようとして、理想と現実のギャップに苛まれるからではないだろうか。

現実はそう甘くはない。長年延々と受け継がれてきたものを、簡単には変えられないし、捨てられない。従来のやり方をベースにその周辺の活動や作業、そしてそれらを取り巻く人間関係が成り立っているからだ。それを変えるには、一旦全てをスクラップしてから、ビルドしなくてはならない。並大抵の努力では立ち行かない。「敵」は土の中に広く、力強く根を張る”巨木”なのだ。

ところで、真面目で優秀な人とは、私の親友のことである。約1年間ずっと休んでいたのだが、ようやく今月から復帰を果たした。今日たまたま親友の部署に行く用事があって、そこで姿を見つけて声を掛けた。思ったより元気そうで何よりだった。

真面目で優秀な人が一人気を吐いて、現状の改善提案をバンバン行っても、逆に浮いてしまって、その結果孤立してしまう。その人が頑張れば頑張る程、周りはどんどん冷めてきて、その人を白い目で見るようになる。そして、次第にギャップが広がり、埋めようの無い溝となって、心が折れてしまうのである。何とも皮肉な話である。更に悪いことには、一旦折れてしまった心を元に戻すのは至難の業、というか”ほぼ不可能”と言っても過言では無い。

そのような状況に対し、その親友は直属の上司に「明らかにおかしい。不当だ。納得の行く説明をしてほしい。」と直球で返してしまうものだから、尚更コトが穏やかで済まなくなる。終いには、上司から「いくら仕事ができても、俺はお前を絶対に評価しない」とまで宣言されてしまったとのこと。案の定、それからはマイナス評価の一途を辿ることに...。「悪のスパイラル」とはこのことか。

うーん。私はもちろん圧倒的に親友の味方ではあるが、どちらにも非があると思っている。「人をダメにする組織」と「組織をダメにする人」どちらも”ダメ”に変わりはない。売り言葉に買い言葉では、共に死んでしまう(いわゆる「共死モデル」)。そこで、両者に大まかに提案するとしたら、以下になるか。

  • 上司へ:評価基準やキャリアプランを明確にし、部下のパワーを最大限引き出して、組織に役立てましょう!
  • 親友へ:一人で頑張っても大勢は崩せない。共感できる仲間や味方を増やしてグループ・チームで戦おう!

ちょっと大まか過ぎるが、まずはこのレベルで方向性を示してみたい。要は、戦術の前に戦略だ。「部下を生かすも殺すも上司次第」と同時に「上司をその気にさせるのが部下の最大の役目」なのだ。トップダウン戦略とボトムアップ戦略の融合こそが、共生モデルの原点だ。と私は信じている。

兎にも角にも、親友が職場復帰できた事を嬉しく思っている。今後も、親友の動向には目を離さずウォッチしていきたい。「共生できる組織作り」には協力を惜しまないつもりだ。